| 現在の大阪城は… |
大阪城の内部は、歴史資料館となっており、1階〜8階までに分かれています。
大阪城の歴史以外にも、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の生涯や大坂夏の陣に
ついてなども学ぶことができます。
地上から50mの高さにある展望台(8階)は、非常に眺めが良く、
生駒山や六甲山も一望できます。
そしてライトアップされた天守閣は黄金に輝き、昼間とは違う趣があります。
|
|
| 大阪城公園 |
天守閣を中心に13棟の重要文化財を園内に持つ総面積106.7haの
広大な史跡公園です。
梅1,250本、桜4,500本が咲き乱れる花見の名所にもなっています。
主な施設に、大阪城天守閣、西の丸庭園、博物館、大阪城音楽堂、
大阪城ホール、大阪城弓道場、野球場(太陽の広場)、修道館、
大阪国際平和センター(ピースおおさか)などがあり、スポーツや
レクリエーションを楽しむことができます。 |
|
 |
| 初代大坂城 |
天正11年(1583)豊臣秀吉は、石山本願寺の跡に大坂城を築城する為の
工事を開始しました。
秀吉は、織田信長の安土城を越えるような大天守を作ることを
目指したそうです。
その後秀吉が亡くなるまでの15年間に、大坂城は少しずつ築き上げられ、
難攻不落の巨城が誕生しました。
しかし豊臣家は慶長19年(1614)、大坂冬の陣で徳川家に破れ、
大坂城は内堀と本丸だけの裸城とされてしまいます。
そして更に 翌年の大坂夏の陣により、ついに大坂城は落城し、
豊臣家も滅亡となりました。
|
|
| 2代目大坂城 |
大坂夏の陣で廃墟同然となった大坂城は、その後、元和6年(1620)に
2代将軍徳川秀忠によって再築工事が始められました。
そして3期に渡る工事を経て、3代将軍家光の時代に再び大坂城は完成されました。
秀忠は再築工事を始めるにあたって、「石垣も堀の深さも旧城の2倍にせよ」と
命じたそうです。
また、幕府から築城工事の参加を命ぜられた大名たちが、石垣を築く際に
それぞれの家紋を石に刻んだ為、今もその刻印が残っています。
各大名たちの競争心を幕府があおった為か、大坂城の石垣には
高度に洗練された技術が数多く見られます。
ところが、寛文5年(1665)に天守閣は落雷を受け、
竣工後わずか39年で焼失してしまいます。
その後、昭和の時代に復興されるまでの266年間、
大坂城は天守を欠いた城となりました。
|
|
| 3代目大阪城 |
昭和3年(1928)に、当時の大阪市長である関一(せき・はじめ)氏が
天守閣の復興を提案し、大阪の市民から絶大なる賛同を得られ、
そして、昭和天皇即位の記念事業として復興することが決定となりました。
目指すは、徳川時代に築いた大坂城ではなく、
豊臣時代に築き上げられた大坂城の再建でした。
しかし、その当時の資料がきわめて乏しかった為、「大坂夏の陣図屏風」に
描かれた大坂城を頼りに再建が進められ、細部の資料を集めるのに
苦労を重ねたそうです。
また、復興した天守閣を永久的な建造物にしようと考え、
当時では最新の建築法であった鉄骨鉄筋コンクリート造りを取り入れました。
そしてついに昭和6年(1931)、歴史上3代目となる
大阪城天守閣が誕生しました。
太平洋戦争の戦火も逃れ、最も長寿な天守閣として今日に続いています。
|
|
| 平成の大阪城 |
復興した天守閣も長い歳月で老朽化が進んだ為、
平成7年〜9年(1995〜1997)にかけて、大規模な改修工事が行われました。
屋根は、緻密な防水工事と銅板瓦の葺き直しが実施され
窓等の外部建具は全て耐久性に優れたカラーステンレスに新調するなど、
全てにおいて最新技術を駆使した施工精度の非常に高い改修工事となりました。
また、大人数での観覧や高齢者・身障者の方などへも配慮し、
エレベーターを新設したり展示空間の動線や照明を検討したりするなど、
設備や機能面でも数多く改善されました。
|
|